今だからV6!
今回も下書きとして1年数ヶ月の間眠っていた記事を公開しようと思います。
ただこの記事何故投稿しなかったのかマジで謎なんですよね。普通によくまとまってて投稿しても良かったと思うんですが……。
というわけでV6についての記事です。公開は2019年9月29日ですが、記事自体は2018年6月〜8月ごろに完成したものです。そのことを念頭に置いてご覧下さい。ではどうぞ。
今日は私が昔ハマっていてなおかつ初めてハマったアイドルグループV6について話したいと思います。
V6は1995年、バレーボールワールドカップのイメージキャラクターとして結成されます。
この前光GENJIのことについて語りましたが実は光GENJIが解散した直後に生まれたグループがこのV6です。
V6はなんと最年長と最年少のメンバーの年齢差が10歳あり当時としては異例のメンバー選出だったのではないでしょうか。ちなみに最年長の坂本昌行は24歳であり、当時ジャニーズ事務所のデビュー最年長を飾りました。そして最年少の岡田准一は14歳であり、事務所に入ったばかりでJr.の期間もほぼなくジャニーズ事務所の最短デビューとなりました。
この坂本昌行がちょっと意外な経歴で実は一度事務所を辞めて就職しているんです。そこからのアイドルデビューです。これはなかなかレアケースですよ。
V6も光GENJIと同様にグループの中にグループが存在します。年齢が上の3人はトニセン(20th century)、下の3人はカミセン(coming century)です。ただデビュー当時上の3人には名称がつけられていませんでした。さらにトニセンはデビューから数枚の間シングルのジャケットでカミセンより明らかに小さかったり、カップリングがV6ではなくカミセンが歌っていたり、そのカミセンの歌を音楽番組で披露する際バックダンサーにトニセンを起用されたり…と明らかに冷遇されてました。というかここまでわかりやすい冷遇ある?
(忍者の方が冷遇されてたよ!とかいうコメントは無しでお願いします。何も言えなくなるので)
そしてデビュー曲は「music for the people」ですよ!みなさん!この曲は時代に合わせてユーロビート曲となってます!ちなみに僕はユーロビート好きなんですがきっかけはV6だと思ってます。
V6といえばアクロバットなんですが、おそらく当時事務所で一番動けたんじゃないかな?少年隊もこの頃はまだアクロバットしてましたけどやっぱり若いV6の方が動きが激しかったと思います。
いやしかし事務所歴が浅い岡田准一をよくあそこまでアクロバット出来るようにしたね。そこは本当に凄いと思います。
そして長野博主演のウルトラマンティガの主題歌「take me higher」、イノッチ(井ノ原快彦)がドラマで共演した玉置浩二さんに楽曲を作って欲しいと頼んで生まれた「愛なんだ」多くの歌手によって歌われている「WAになっておどろう」など次々にヒット曲を連発します。そんな中V6の代表作とも言える番組がスタートします。それが
「学校へ行こう!」です。
学校へ行こうは1997年から2008年まで11年続いた人気番組です。2015年に復活した時も視聴率が高くて話題になりました。この番組では数々の人気コーナーが生まれここからV6の人気・知名度が上がったのではないかと思います。
そんな私もV6にハマったきっかけがこの「学校へ行こう」でございます。数年前、テレビにV6が出ていて、V6のことよく知らないな〜と思いYouTubeで見てしまったのがあの伝説の
「修学旅行」なんです。
これを見た瞬間、「こいつら、今まで見てきたどのアイドルよりも面白え…!!」と思い即ファンになりました。これ、凄くないですか?曲じゃなくて面白さでファンになるって。
この修学旅行、おそらくニコニコ動画とか見てる人だったら知ってると思います。このMADが多く作られてます。YouTubeにも結構消されますが大体あの映像があります。良かったら是非見てください。日本国民全員が一回は見るべき動画だと思ってます。
そして2008年に番組が終わるとV6としての仕事がほとんど無くなってしまいます。事務所が嵐を押し始めた時期ですかね?そこでメンバーはグループより個人の活動を頑張るという方向に進みました。坂本昌行はミュージカル、長野博はグルメ番組、井ノ原快彦は司会、森田剛は舞台、三宅健は手話番組、岡田准一は映画、ドラマとそれぞれの道に専念し始めました。
そこからしばらくはV6の人気は落ち着いていたのですが、岡田准一が映画やドラマで主演を張るようになってからまたV6のファンが増えたのではないかと思います。さらに20周年を迎えてV6が集まる機会が増えるとおじさんたちが仲良くやってるその姿に惹かれてファンになった人も多くいると思います。
さらに!最近のV6は歌もダンスもさらに洗練されてきていてすごくいい雰囲気です。アクロバットはもう封印してますが、アクロバットなどもうV6にはいらん!!とさえ僕には思います。
特に「can't get enough」や最新曲「crazy rays」この前もテレ東音楽祭で披露した「keep going」などレベルが高く大人の魅力全開の路線が僕的にはたまらないです。てか事務所で一番押すべきグループだと思います。
そんなわけでV6の過去から現在までざっと語ってみました〜。いやー、最近は某女性アイドルにハマってたこともあってV6はあんま見れてなかったんですけどまたハマりそうな要素しかないですね。皆さんもこの先まだまだ成長するであろうV6、必見ですよ!ではここで終わります。
モーニング娘。という沼
ーーーここに一つの闇に葬ろうとしていた幻の記事がある。
いきなりであるが私はモーニング娘。のファンである。私は去年からファンになった。そしてモーニング娘。の記事を書いた。ただその記事があまりにも熱が入りすぎてて気持ち悪かったので公開は絶対にしない!そう決めていた…。
あれから1年と数ヶ月……。公開することに決めた。それは何故か?……何故だろうね???俺が聞きたい!誰か教えて!!!
それでは1年ちょっと下書きとして眠っていたヤベェヤベェ記事をどうぞ……。
私がモーニング娘。にハマってからもうじき4ヶ月が経とうとしている。時が経つにつれて飽きるどころかモーニング娘。という深い沼にはまって行く。
そう底がないのだ。いくらモーニング娘。を聴いても、調べてもキリがない。20年という長きに渡るグループゆえその時々によってほとんど別のグループになることさえあるのだ。とにかく奥が深いグループなのである。
てことで今日は現在進行形でハマっているモーニング娘。について語ります。
僕がモーニングに出会ったのは(勿論元々知ってたが)今年の3月1日。たしか前日にナカイの窓でモーニング娘。の同窓会をやってたんですよね。それをたまたま見てて、あー、久々にミニモニでも聞くかーってなったんです。え?
何故ミニモニ???
わかりません。何故か無性にミニモニ。テレフォン!リンリンリンが聴きたくなったんです。でもその日は寝て、次の日起きてすぐミニモニを見たら、なんか懐かしい気分になっちゃって他の動画も見たくなったんですよ。
そこでモーニング娘。も久々に聴きたくなり黄金期の知ってる曲を聴いたり、ハロモニの20周年記念特番を見たりしました。そこで私はある一人の女性の存在を知ることになります。そう
後藤真希です。
黄金期をリアルタイムで観ていた方は彼女からモーニング娘。のファンになった方も多いのではないでしょうか。
名前は知っていました。ただ僕の後藤真希の知識がこち亀140巻の「お鍋の中身は何だろな?の巻」で両さんがゴボウ巻ではなくゴマキのCDを鍋に入れるという知識しかありませんでした。(それは最早後藤真希の知識ではない)
しかし後藤真希加入の時の動画を見てるうちに完全にファンになってしまいました。13歳なのに金髪、しかも顔良しルックス良し歌も上手いという完璧すぎるスペックに完全に引かれました。(何故もっと早く後藤真希を知ろうとしなかったんだ俺は!!)
そして見るからに天才肌なのに影での努力を惜しまないという性格も素晴らしいと思いました。
そこから私はモーニングの黄金期にハマってしまいました。黄金期メンバーは1人1人個性が強くて当時の番組は面白いんですよねー。なので一日中モーニングの出てるうたばんを見てたりしました。曲も色々聴きました。中でもその時聴いた「ザ☆ピ〜ス!」は今でも個人的モーニング娘。ナンバーワンソングです。
そして!その後私は加護ちゃんのファンになりました!!(唐突)先程言ったミニモニテレフォン見れば加護ちゃん好きになります。見てくれ頼む。ちなみに今までのモーニングのメンバーで1番好きなのは加護ちゃんです。あ、そういえば夏のハロコン出演おめでとー!!良かった!本当に良かった!!
そこから色々聴いていくうちに今のモーニングも聴くようになりました。
最初は「黄金期以外は受け入れねえ」みてえな愚かなことを考えていました。しかし!違ったのです!あああ、私は何故もっと早く今のモーニングを見なかったのだろうと思いました。一体僕に何が起きたのか!?
鞘師里保です!
みんなが鞘師鞘師言うから!見てみたら!そら引かれるっしょーまさかあんなアイドルがいたとはねー!黄金期はリアルタイムで見れなかったから仕方ないにせよ!鞘師のいた時代をリアルタイムで見たかった!!という思いしかないですよぉ!私は。(こういう人結構いると思う)
そういうことがあってから私は今のモーニング娘。'18もにわかながら追うことにしました。リアルタイムって大事なんですよ!
で、最近はプラチナ期を結構聴いてる時期です!プラチナ期はいいぞ〜!ほんとレベル高いから。普通のアイドルに飽きた方!モー娘のプラチナ期オススメですぜ!あとプラチナ期入る直前の吉澤リーダー期もいいんですよ!!
と、ここまでが大まかな私がモーニングのファンになったきっかけです。
なげーーよ!!!
何が大まかなんだよ?!これだけですでに1600字くらい使ってるんですが!?
まあ色々語りたいことはありますが断腸の思いで今回はここまでにしたいと思います。
まあ以前僕は現在大学に行ってないという話をしましたがそんな僕がなにで自分を保ってるかというとモー娘なんですよ!モー娘に出会ってなかったら多分僕は崩壊していたと思います。何か現在辛い方!モー娘を聴いてみてください!何か変わるかもしれませんよ!少なくとも僕は救われました!
今回はこれだけが伝えられればいいです!ではまた。
いかがだっただろうか……。これが1年数ヶ月の間眠っていた記事である。ちなみにこの後モーニング娘。だけじゃなくてハロプロにもハマりますよ。コイツ。(まぁ王道コースなんですけどね。)
今もモーニング娘。及びハロー!プロジェクト大好きです!これからも応援していきます!
こんな感じで終わっていいですか?終わり方がわからないんですけどこのタイプのやつ……。
久々の投稿
どうも。
お久しぶりです。限りなく底辺に近い男のブログです。
実はブログ、新しくしました。
とは言っても変えたのはidだけです。
ブログの名前も変わってませんし、記事も残ってます。(まぁ今後消すかもしれませんが)
このブログを休んでいる間色んなことがありました…。
自分のメンタルがヤバいのにも関わらず「メンタル心理カウンセラー」という資格を取ったり…。大学中退したり…。専門学校入学したり…。バイト辞めたり…。
というわけで(どういうわけだ?)またぼちぼちブログでも書いていこうかなと思ってます。よろしくお願いします。
学校の課題で書いてたブログです。良かったら覗いてみて下さい。デザインに関する記事をあげてます。→セキシロのブログ
光GENJIという伝説のアイドルについて語る
いきなりですが私は結構昔のアイドルをYouTubeで見るのが好きなんですよね。
これまで何度かハマったアイドルがいるんですけど今回はその中から光GENJIをピックアップして語っていきたいと思います。
光GENJI 1987年に結成し同年デビュー、1988年「パラダイス銀河」で日本レコード大賞受賞。同年オリコン年間シングル売上1位から3位まで独占した。1994年グループから2人脱退し「光GENJI SUPER5」にグループ名が変わる。1995年解散。
といったのが大まかな歴史。
では詳しく追っていきます。1987年に「STAR LIGHT」で堂々のデビューを飾ります。
光GENJIはジャニーズでいえば1985年にデビューした少年隊の次のグループなんです。
少年隊は言ってしまえばジャニーズの「完成形」みたいな感じです。下積みが長かった分歌もダンスもレベルが高い。さらにデビューしてすぐにミュージカル「PLAY ZONE」が始まり23年に渡って活躍します。
社長のジャニー喜多川氏はミュージカル俳優のような歌とダンスが出来るタレントの育成を目指して初代ジャニーズが生まれたのでまさに理想のグループではないかと思います。
しかし光GENJIは結成してわずかな期間でデビュー。事務所に入ったばかりのメンバーも多く、歌もダンスもまだまだ発展途上。だがこのまだ未完成である少年たちが成長していく過程を見ていくのが光GENJIの醍醐味であるとも言えます。
事実解散する前の数年はプロのダンサーも評価するほどダンスが上手いんです。
そして同年、2ndシングル「ガラスの十代」が発売されます。いやー、これはもう素晴らしいですよ。多くは語りませんが皆さん、一度は聞いてみてください。日本アイドル史に残る名曲です。そしてカップリングの「graduation」!これも名曲で、卒業ソングでもかなり好きな曲です。
そして翌年「パラダイス銀河」ですよ、皆様。
もうSTAR LIGHT、ガラスの十代、パラダイス銀河は誰もが知ってると思います。こんなデビューから立て続けにヒットするのは凄すぎるて。この時の映像とか見るとえげつない人気です、マジで。
その後も「太陽がいっぱい」など数々の名曲を世に送り出すわけですが1990年の「荒野のメガロポリス」あたりから徐々に売上、人気が落ちてきます。何故か。
そう、あの「アイドル氷河期」です。
この頃歌番組が立て続けに終了、そしてバンドブームにより光GENJIのみならずアイドル全体の人気が無くなってしまいます。
ただこれだけは言っておきます。「荒野のメガロポリス」は神です。この曲の光GENJIのパフォーマンスは相当評価されてます。曲もいいです。聞いてください。
そして1991年、光GENJIのバックも勤めていた後に国民的グループとなる「SMAP」がデビューします。しかしSMAPは光GENJIのようにすぐに売れたわけではありません。この頃売上が落ちてたとはいえまだ光GENJIの方が人気でした。
1992年は「リラの咲くころバルセロナへ」がバルセロナオリンピックの応援ソングとして起用されたり、「愛してもいいですか」で初のバラードに挑戦したりします。
しかしこの年からレギュラー出演していたMステがレギュラーではなくなります。そう、あのMステに光GENJIはレギュラーで出演していたんです!これ今ではありえないです。当然Mステ出演回数第1位は光GENJIです。今Mステにジャニーズ枠があるのは光GENJIのおかげと言っても過言ではないんです!!(落ち着け)
少し話がそれましたが1992年はこんな感じです。
1993年、徐々に「SMAP」の人気が出てきます。そして段々と光GENJIは「過去のアイドル」「古い」などと言われる存在になります。
しかし!!私は言いたい!1993年こそ光GENJIを見てくれ!この時のビジュアルと言ったらもう完璧です。この年に発売された「君とすばやくslowly」はローラースケートを履かずに真正面からダンスで勝負した良曲です。え?知らない?バカヤロー!今すぐYouTubeに走れ!
さらにアニメ「忍たま乱太郎」でおなじみの「勇気100%」もこの年に発売です!今聞くと子供の頃聞いた時と全く違う気持ちになる良曲!え?光GENJIも歌ってたの?バカヤロー!光GENJIが元祖じゃ!!てか光GENJIverが一番じゃ!(他のver好きな方すいません)
そして!この年発売されたアルバムに収録された「2・5・7」!これはファンの間でもトップクラスの人気曲です。そう今では当たり前の自己紹介ソング!この曲からですよ!後輩グループが自己紹介するようになったのは!そして当時ジャニーズでは珍しいラップ!早すぎた!時代を先取りしすぎた!!さらにこの曲の作詞作曲は光GENJIのメンバーである諸星和己なんです!
ちょっと騒ぎすぎました、反省します。
という感じで個人的には1993年は光GENJIが一つの完成を迎えた年だと勝手に思ってます。
しかし1994年グループから大沢樹生と佐藤寛之が脱退します。こんなことを言うのもあれですが自分はこの時点で光GENJIは終わったものだと思っています。この2人の存在はあまりにも大きかった。2人のラストコンサートは涙なしには見れないです。
残った5人は心機一転「光GENJI SUPER5」として活動することになります。
しかし翌1995年、5人体制になってわずか1年ほどで光GENJIは解散します。
最後のテレビ出演であるMステは何度見ても泣けます。てかあの演出は泣き確定です。
てか7人でどうにか解散できなかったものかなーとほんと思います。まあ色々事情があるんでしょうけど…。まあ「SMAP」を見てると解散コンサートしてもらえた分だけ恵まれてたのかもしれませんが。
こうして光GENJIはわずか8年の活動に終止符を打ちます。
と、以上が光GENJIの歴史です!(まだまだ語ることはありますが)どうですか?ちょっと興味湧いてきましたか?
昔のアイドル好きの僕が言えるのは光GENJIは若い子の後追いのファンがとにかく多いんです!Twitterとか見ると普通に中学生、高校生の光GENJIファンいますから。(マジです)
それは何故かと言うと光GENJIは今のアイドルの原型と言っても過言ではないからです。今では当たり前のことを光GENJIが作ったことによって今でも受け入れられるんです。
長々と語りましたがこの辺で今回は終わります。機会があればまた別のアイドルについて語りたいですね。では。
3年B組金八先生について語る
3年B組金八先生。皆さん一度は聞いたことあるだろう。しかし、私と同世代(今年20歳)の人で一体何人見たことがあるだろうか。おそらくほとんどの人は見たことがないと思う。そして金八先生?あの熱血のやつでしょ?今時流行らね〜よ!(笑)みたいな考えをお持ちの方が多くいると思う。しかし!金八先生というドラマはみんなが思ってるドラマとは違い時代を常に先取りした攻めてる社会派ドラマなのである!
ということで今回私は一番好きなドラマである3年B組金八先生について語りたいと思います。
まず金八先生とは1979年から2011年まで断続的に放送されたドラマです。32年の間に第8シリーズまでテレビシリーズが作られ、12本のスペシャルが放送された長寿ドラマなのです!
第1シリーズから順番に各シリーズのテーマや特徴を端的に説明し語っていきます。
まず1979年から80年にかけて放送された第1シリーズです。テーマは妊娠、出産、受験戦争など。
このシリーズは何と言っても15歳の女子中学生が妊娠して子供を産むという話が一番メインでしょう。これは当時結構センセーショナルだったらしいですよ。
そしてこのシリーズで歴代最高視聴率39.9%を記録。
1980年から81年にかけて放送された第2シリーズのテーマは校内暴力、思春期心身症など。
よくテレビとかで金八先生の名場面やる時は大体このシリーズです。1番有名なのは「腐ったミカン」と言われた加藤優が荒谷二中に乗り込んで逮捕されるシーンでしょう。これも当時は結構ショッキングだったみたいですね。今のドラマに慣れてる人だったら中学生が逮捕?日常茶飯事じゃんと思うかもしれませんが。(日常茶飯事ではないぞ、絶対)
このシリーズのラスト3話は本当に怒涛の勢いで話が進んでいきます。そしてほぼ全部金八史上に残る名シーンです。約40年前の作品ですが今見ても感動するのでやっぱり凄いですよね。
ちなみにこれ以降金八のテレビシリーズはしばらくなくなり代わりに年1回のスペシャルが第3シリーズが開始するまで放送していました。
88年に放送された第3シリーズはちょっと異色なんで説明が難しいんです。普通金八は2クールやるんですがこの時だけ1クール。しかも金八先生は桜中学が舞台なのですが、このシリーズだけ松ヶ崎中学が舞台です。テーマは生徒の無気力、保健室登校など。
いかにも中学生らしい等身大のテーマですが1と2がわりと大きいテーマだったのとやっぱり別の中学ということもあって個人的にはイマイチなシリーズです。ただ視聴率はそこそこいってたみたいです。
1995年から96年まで放送された第4シリーズは何と前回のシリーズから7年の時を経て帰ってきました。さらに第1シリーズで15歳の母から産まれた子供(宮沢歩)が生徒にいるのも特徴の一つ。テーマはいじめ、不登校など。
ちなみにこのシリーズの金八は超有能でクラスのいじめを数話で見抜き、第4話で解決するというこの先一体どうやってストーリー作る気なんだ?と思わず思ってしまう構成。ただこのシリーズは平和な部分を描きたくてあえて最初の方で問題を解決させてたみたいです。そこは他のシリーズとは違うところですね。地味ですがなんか好きなんですよね第4シリーズ。
余談ですが宮沢歩役の橋本光成さんのWikipediaを作成したのは私です。
そして1999年から2000年にかけて放送された第5シリーズ。私が金八先生にハマったのはこのシリーズのおかげです。テーマは学級崩壊、引きこもりなど。
このシリーズはほぼ全ての事件が兼末健次郎という少年に関わっていて、ほぼ全編健次郎を中心に物語が進んでいきます。簡単にストーリーを説明するとクラス1の優等生である健次郎が裏で3年B組を操っていたが彼の家族に大きな問題があり金八がクラスと健次郎の家庭問題を解決しようと奮闘する話です。(本当にザックリですが)
このシリーズは健次郎という1人の少年とその家族を徹底的に描いた良作で、個人的に1番好きなシリーズです。
そして2001年から02年にかけて放送された第6シリーズはとにかく凄い。テーマは性同一性障害、殺人事件、幼児虐待など。
この辺りからテーマが壮大になってきます。このシリーズの3Bの生徒はほぼ何かしらの問題があります。さらに桜中学の新しい校長と金八の考えが合わず対立し、金八の息子である幸作が悪性リンパ腫になってしまうという徹底的に金八を追い込んだシリーズになってます。なので従来見られた日常回はほぼなくシリアス回ばかりで正直詰め込みすぎといった印象です。
ただこのシリーズでいち早く性同一性障害について扱ったことで性同一性障害が多くの人たちに認知・理解されたと思っているので、その点に関しては貢献したのではないかと思います。
そして金八先生史上最大の問題作が2004年から05年にかけて放送された第7シリーズ。テーマは薬物依存、虐待、学級崩壊など。
このシリーズは歴代で最も過激です。薬物問題について扱ってるのですがこれはもう金八がどうこうできる問題ではないです。事実このシリーズの金八はあまり役に立っていません。
この作品は非常に賛否が分かれていて自分はどちらの意見もわかります。さらに生徒の1人が自殺未遂をするというもうとにかく金八過激路線の全てが詰まった作品。ただ第19回「しゅう最後の日、最後の授業」は歴代で1番泣けます。
色々言いましたがこのシリーズはメッセージ性がかなり強く、個人的には好きです。
そして最後のシリーズは2007年から08年にかけて放送された第8シリーズ。前作が過激すぎた為、過激描写は無いと言っても過言ではないです。テーマはモンスターペアレント、裏サイトなど。
このシリーズは異色で、生徒1人1人に焦点を当てたオムニバス形式みたいな感じで進んでいきます。正直評価は低い作品です。個人的にもイマイチかな。と思います。ただ本来中学生ってこういうもんだよなぁとは思いました。
でもやっぱり主役的な生徒は欲しかったなぁ…。(いるにはいるんだけど)
そして2011年にスペシャルで金八先生ファイナルを放送して金八先生は完結しました。
と、以上が大体の金八先生の説明です。
皆さんが想像してた話とは少し違っていたのではないでしょうか。金八先生はリアルを徹底的に描いた社会派ドラマです。(たまに「ん?」と思うこともありますが)熱血教師ドラマでは済ませられないテーマに挑んでいます。
皆さん気になったシリーズはありましたか?あれば是非見てみてください。
それではこの辺で終わりにします。
暗黒の高校時代を振り返る〜スポーツフェスティバル編〜
今日は暗黒の高校時代の話をまたしていこうかと思います。
皆さん、運動神経は良かったですか?私は超が何個もつくほど悪かったです。思い出したくもないですが高校の体育はラグビーの実技試験でクラスで一人だけ追試だったり、ソフトボールの実技試験ではクラス1クソな飛距離だったりと本当に良い思い出がありません。
特に憂鬱だったのがスポーツフェスティバルというイベント。まあ球技大会みたいなやつと思ってくれれば大丈夫です。
ウチの高校にはマラソン大会もあったのですがそっちよりもスポフェスです。何より私が苦手としているのはそう、「球技」なんです。(スポフェスの競技はほぼ100%球技だった)
スポフェス、または球技大会が嫌で嫌で仕方ない皆様、私がどうこのクソイベントを乗り切ったか、教えてあげましょう……。
1年次は野球でした。まあ勿論補欠でした。(ただ補欠は運動音痴からすればむしろラッキー)本番当日、ウチのチームは試合がコールド負けで10分で終わりました。
つまり私は何もしていません。
2年次はバスケでした。ウチのチームはクラスの陰キャ、運動音痴を兼ね揃えた俗に言うヤベェ奴らを集めたチームでした。
しかし!一人変わり者で有名だったNくんだけは違いました。なんと!中学時代バスケ部だったんです!しかも途中で退部しているくせに結構上手かったんです!
半ばやる気がないチームでしたがNくんのまさかの特技に一筋の光が見えてきました。そして当日!
Nくんは欠席しました。
理由は家でPS4をやってるからとのことでした。(理由になってない?バカそれは禁句だ)
我々のチームは即棄権しました。「即」です。スポフェスにおいて棄権が可能とは知りませんでした。何故なら人が足りない場合は他のチームから人を借りることが可能だからです。しかし我々のチームはやる気がマジでなかったので棄権しました。
これで私は2年連続何もしてません。
そして最後のスポフェスである3年次はまたもやバスケでした。はい、補欠でした。この年は単純にもう一人の補欠の子と共にチームの奴らに呼ばれても延々と無視し続けました。観客を全うしました。そしたら準優勝しました。
私は勝ったのです。スポフェスに勝ったのです!3年間何もせずスポフェスを乗り切ったのです!!
ちなみに中学時代の球技大会もほぼこんな感じだったことを最近思い出しました。
皆さん、スポフェスや球技大会が嫌だったら……自ら補欠を申し出る、もしくはクソチームを作る、もしくはNくんのように休む!これで乗り切れます!全国の運動音痴共よ!なんとかなるぞ!周りの視線が気にならなければな!