暗黒の高校時代を振り返る〜スポーツフェスティバル編〜
今日は暗黒の高校時代の話をまたしていこうかと思います。
皆さん、運動神経は良かったですか?私は超が何個もつくほど悪かったです。思い出したくもないですが高校の体育はラグビーの実技試験でクラスで一人だけ追試だったり、ソフトボールの実技試験ではクラス1クソな飛距離だったりと本当に良い思い出がありません。
特に憂鬱だったのがスポーツフェスティバルというイベント。まあ球技大会みたいなやつと思ってくれれば大丈夫です。
ウチの高校にはマラソン大会もあったのですがそっちよりもスポフェスです。何より私が苦手としているのはそう、「球技」なんです。(スポフェスの競技はほぼ100%球技だった)
スポフェス、または球技大会が嫌で嫌で仕方ない皆様、私がどうこのクソイベントを乗り切ったか、教えてあげましょう……。
1年次は野球でした。まあ勿論補欠でした。(ただ補欠は運動音痴からすればむしろラッキー)本番当日、ウチのチームは試合がコールド負けで10分で終わりました。
つまり私は何もしていません。
2年次はバスケでした。ウチのチームはクラスの陰キャ、運動音痴を兼ね揃えた俗に言うヤベェ奴らを集めたチームでした。
しかし!一人変わり者で有名だったNくんだけは違いました。なんと!中学時代バスケ部だったんです!しかも途中で退部しているくせに結構上手かったんです!
半ばやる気がないチームでしたがNくんのまさかの特技に一筋の光が見えてきました。そして当日!
Nくんは欠席しました。
理由は家でPS4をやってるからとのことでした。(理由になってない?バカそれは禁句だ)
我々のチームは即棄権しました。「即」です。スポフェスにおいて棄権が可能とは知りませんでした。何故なら人が足りない場合は他のチームから人を借りることが可能だからです。しかし我々のチームはやる気がマジでなかったので棄権しました。
これで私は2年連続何もしてません。
そして最後のスポフェスである3年次はまたもやバスケでした。はい、補欠でした。この年は単純にもう一人の補欠の子と共にチームの奴らに呼ばれても延々と無視し続けました。観客を全うしました。そしたら準優勝しました。
私は勝ったのです。スポフェスに勝ったのです!3年間何もせずスポフェスを乗り切ったのです!!
ちなみに中学時代の球技大会もほぼこんな感じだったことを最近思い出しました。
皆さん、スポフェスや球技大会が嫌だったら……自ら補欠を申し出る、もしくはクソチームを作る、もしくはNくんのように休む!これで乗り切れます!全国の運動音痴共よ!なんとかなるぞ!周りの視線が気にならなければな!