光GENJIという伝説のアイドルについて語る

いきなりですが私は結構昔のアイドルをYouTubeで見るのが好きなんですよね。

これまで何度かハマったアイドルがいるんですけど今回はその中から光GENJIをピックアップして語っていきたいと思います。

 

光GENJI 1987年に結成し同年デビュー、1988年「パラダイス銀河」で日本レコード大賞受賞。同年オリコン年間シングル売上1位から3位まで独占した。1994年グループから2人脱退し「光GENJI SUPER5」にグループ名が変わる。1995年解散。

 

といったのが大まかな歴史。

 

では詳しく追っていきます。1987年に「STAR LIGHT」で堂々のデビューを飾ります。

光GENJIはジャニーズでいえば1985年にデビューした少年隊の次のグループなんです。

少年隊は言ってしまえばジャニーズの「完成形」みたいな感じです。下積みが長かった分歌もダンスもレベルが高い。さらにデビューしてすぐにミュージカル「PLAY ZONE」が始まり23年に渡って活躍します。

社長のジャニー喜多川氏はミュージカル俳優のような歌とダンスが出来るタレントの育成を目指して初代ジャニーズが生まれたのでまさに理想のグループではないかと思います。

しかし光GENJIは結成してわずかな期間でデビュー。事務所に入ったばかりのメンバーも多く、歌もダンスもまだまだ発展途上。だがこのまだ未完成である少年たちが成長していく過程を見ていくのが光GENJIの醍醐味であるとも言えます。

事実解散する前の数年はプロのダンサーも評価するほどダンスが上手いんです。

 

そして同年、2ndシングル「ガラスの十代」が発売されます。いやー、これはもう素晴らしいですよ。多くは語りませんが皆さん、一度は聞いてみてください。日本アイドル史に残る名曲です。そしてカップリングの「graduation」!これも名曲で、卒業ソングでもかなり好きな曲です。

 

そして翌年「パラダイス銀河」ですよ、皆様。

もうSTAR LIGHT、ガラスの十代パラダイス銀河は誰もが知ってると思います。こんなデビューから立て続けにヒットするのは凄すぎるて。この時の映像とか見るとえげつない人気です、マジで。

 

その後も「太陽がいっぱい」など数々の名曲を世に送り出すわけですが1990年の「荒野のメガロポリス」あたりから徐々に売上、人気が落ちてきます。何故か。

そう、あの「アイドル氷河期」です。

この頃歌番組が立て続けに終了、そしてバンドブームにより光GENJIのみならずアイドル全体の人気が無くなってしまいます。

ただこれだけは言っておきます。「荒野のメガロポリス」はです。この曲の光GENJIのパフォーマンスは相当評価されてます。曲もいいです。聞いてください。

 

そして1991年、光GENJIのバックも勤めていた後に国民的グループとなる「SMAP」がデビューします。しかしSMAP光GENJIのようにすぐに売れたわけではありません。この頃売上が落ちてたとはいえまだ光GENJIの方が人気でした。

 

1992年は「リラの咲くころバルセロナへ」がバルセロナオリンピックの応援ソングとして起用されたり、「愛してもいいですか」で初のバラードに挑戦したりします。

しかしこの年からレギュラー出演していたMステがレギュラーではなくなります。そう、あのMステに光GENJIはレギュラーで出演していたんです!これ今ではありえないです。当然Mステ出演回数第1位は光GENJIです。今Mステにジャニーズ枠があるのは光GENJIのおかげと言っても過言ではないんです!!(落ち着け)

少し話がそれましたが1992年はこんな感じです。

 

1993年、徐々に「SMAP」の人気が出てきます。そして段々と光GENJIは「過去のアイドル」「古い」などと言われる存在になります。

しかし!!私は言いたい!1993年こそ光GENJIを見てくれ!この時のビジュアルと言ったらもう完璧です。この年に発売された「君とすばやくslowly」はローラースケートを履かずに真正面からダンスで勝負した良曲です。え?知らない?バカヤロー!今すぐYouTubeに走れ!

さらにアニメ「忍たま乱太郎」でおなじみの「勇気100%」もこの年に発売です!今聞くと子供の頃聞いた時と全く違う気持ちになる良曲!え?光GENJIも歌ってたの?バカヤロー!光GENJIが元祖じゃ!!てか光GENJIverが一番じゃ!(他のver好きな方すいません)

そして!この年発売されたアルバムに収録された「2・5・7」!これはファンの間でもトップクラスの人気曲です。そう今では当たり前の自己紹介ソング!この曲からですよ!後輩グループが自己紹介するようになったのは!そして当時ジャニーズでは珍しいラップ!早すぎた!時代を先取りしすぎた!!さらにこの曲の作詞作曲は光GENJIのメンバーである諸星和己なんです!

ちょっと騒ぎすぎました、反省します。

という感じで個人的には1993年は光GENJIが一つの完成を迎えた年だと勝手に思ってます。

 

しかし1994年グループから大沢樹生佐藤寛之が脱退します。こんなことを言うのもあれですが自分はこの時点で光GENJIは終わったものだと思っています。この2人の存在はあまりにも大きかった。2人のラストコンサートは涙なしには見れないです。

残った5人は心機一転「光GENJI SUPER5」として活動することになります。

 

しかし翌1995年、5人体制になってわずか1年ほどで光GENJIは解散します。

最後のテレビ出演であるMステは何度見ても泣けます。てかあの演出は泣き確定です。

てか7人でどうにか解散できなかったものかなーとほんと思います。まあ色々事情があるんでしょうけど…。まあ「SMAP」を見てると解散コンサートしてもらえた分だけ恵まれてたのかもしれませんが。

こうして光GENJIはわずか8年の活動に終止符を打ちます。

 

と、以上が光GENJIの歴史です!(まだまだ語ることはありますが)どうですか?ちょっと興味湧いてきましたか?

昔のアイドル好きの僕が言えるのは光GENJIは若い子の後追いのファンがとにかく多いんです!Twitterとか見ると普通に中学生、高校生の光GENJIファンいますから。(マジです)

それは何故かと言うと光GENJIは今のアイドルの原型と言っても過言ではないからです。今では当たり前のことを光GENJIが作ったことによって今でも受け入れられるんです。

 

長々と語りましたがこの辺で今回は終わります。機会があればまた別のアイドルについて語りたいですね。では。